1983年 秋季野球大会・第27ブロック 2回戦】
1 2 3 4 5 6 7 8 9
検見川 2 0 6 0 1 5       14
流山 0 0 0 0 0 0       0 6回コールド
検見川 : 千葉-加藤
流山   : 小谷、田中
本塁打 : 船戸川
1983年 秋季野球大会・第27ブロック代表決定戦】
1 2 3 4 5 6 7 8 9
検見川 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2
銚子商 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
検見川 : 千葉-加藤
銚子商 : 大川、大平、片平-須内
3塁打  岡元(検)、 2塁打 宮田(銚)
検見川金星、本大会へ
本大会の本命とみられていた銚子商は先手を取ったものの追い上げられ3投手をつぎ込んでの防戦となったが、逆転され、本大会出場を断たれた。
中学時代、各チームの主力として活躍した選手達が、64回大会のベスト8を見て、検見川野球部に入部してきました。その9期生が最上級生になり、はじめての公式戦です。彼らの中にはあの印旛の蒲原監督の勧誘も断り、検見川高野球部に入部した選手もいたとか…。1983年の秋。その選手達の記録です。
以下、9期生の岡元さん、マネジさんのコメントをもらいました。          
091月 事務局 記 

【コメント】 ☆歴史的一勝でしたね! チームとしてはこの時期が一番気力・体力が充実してたと思います。
この試合は前の試合の流山戦の後、雨が続いて確か2週間位順延になったんですよ。
流山に勝利した後、"さあ銚子商戦"と皆が意気込んでいる中、走塁へたくそな私はスライディングで捻挫をしてしまいました(゚∀゚ ;)タラー
その瞬間は出場断念が頭をよぎりました、毎日外科に通いながら休み時間に体育教官室で低周波治療器のお世話になったのを記憶しております。
石野先生にも怒られました(-ω-ll) しばらくはバントの練習ばっかやらされてました。
恵みの雨による長引く順延のおかげで、何とか足首をテーピングで固め出場を果たし、見事右中間破る三塁打はなってますね、この三塁打は今でも覚えてます。
当時俊足だった私は(本当ですよ11.9sec/100m.)捻挫がなければランニングホームランだったと今でも信じてます。
もっとも、怪我してなければヒットもなかったかも知れません。所詮タラレバの話です。でもこの勝利は歴史的事実です!
試合が終わった瞬間に大漁旗舞う相手の応援席から銚子商メンバーに向けてメチャメチャ野次が飛んでいたのが強烈な印象です。恐るべし銚子商業!(岡元)
祈りながら必死で応援していたことを覚えています。最後のバッターの打球をライト船戸川君が取った瞬間、私たちは優勝したかのように抱きついて喜びあい、
そして、甲子園出場が目の前をちらちら・・。あの拓大戦に勝っていれば、甲子園に行けたと今でもそう思っています。
選手のみんな、すてきな夢を見させてくれてありがとう!(マネジ)
1983年 秋季高校野球大会 1回戦】   於 市原臨海球場 1983年10月3日
1 2 3 4 5 6 7 8 9
検見川 4 0 1 0 0 0 1 0 0 6
幕張東 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
検見川 1 2 3 4 5 6 7 8 9  
6 8 4 2 7 3 1-9 . 9 9 1 5 5
中山 金子 河本 加藤 岡元 鈴木 千葉 秋山 早津 船戸川 小松 岐部 松尾
幕張東 1 2 3 4 5 6 7 8 9    
5 9 6 7 2 3 4 1 8
北川 大川 石井 吉野 酒井 佐藤 竹内 笠原 竹田
検見川 : 千葉、小松-加藤
幕張東 : 笠原-酒井
3塁打 千葉、金子 (検)
検見川が初回鮮やかな速攻をみせた。敵失と送りバンド、内野安打につかんだ112塁から加藤がライト前ヒットで先制。岡元のスクイズ
も決まって2点。さらに走者2人を置いて千葉が右中間を破る3塁打で4点を奪った。
3回には再び千葉の適時打で1点。7回にも岡元がセンターへ適時打し、幕張東を突き放した。幕張東は終始元気が無く、千葉、小松に
散発2安打に抑えられた。 検見川はヒット7本。幕張東はヒット2本。
【コメント】 ☆銚子商に勝って勢いに乗りまくっているという感じの展開ですね
私もスクイズしたり打っているようです(試合のことはほんと覚えてません(゚∀゚ ;))
千葉公園球場での試合だったのではないかと思います。(実際は市原臨海球場)試合前に車で通りかかったお兄さん(ヤンキー風)に『銚子商に勝ったチームだよな、がんばれよっ!』ってオロナミンCを一箱もらったことを覚えています。くだらないことは覚えているものです(私だけ(・・?)(岡元)
1983年 秋季高校野球大会 2回戦】  於 天台球場 1983年10月6日
1 2 3 4 5 6 7 8 9
検見川 2 1 0 0 0 0 3 1 0 7
千葉英和 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
検見川 1 2 3 4 5 6 7 8 9  
4 8 2 7 1-9 -9 3 9 1 5 代-5 6  
河本 金子 加藤 岡元 千葉 早津 鈴木 船戸川 小松 岐部 松尾 中山  
千葉英和 1 2 3 4 5 6 7 8 9    
4 5 6 9 2 7 -7 8 1 1 3
田村 土屋 小森 亀井 前平 片桐 渡辺 田中 伊藤 高橋 若林
検見川 : 千葉、小松-加藤
千葉英和 : 伊藤-前平
3塁打 中山 (検)、小森(千)、2塁打 船戸川(検)
参照:千葉日報
検見川、うまい攻め
検見川が前半の相手投手の乱調と、後半のうまい攻めで大量点を挙げ、千葉、小松の余裕ある投手リレーで千葉英和を1点に抑え圧勝。
1977年以来2度目のベスト8に駒を進めた。
初回、検見川は、英和・伊藤の立ち上がりを攻め、内野安打を挟み4死四球で2点。2回にも敵失を足場に、内野安打を挟み2死四球と
内野ゴロで1点を加え、主導権を握った。
中盤は立ち直った伊藤の大きなカーブに手こずった検見川だったが、7回四球をきっかけに2安打と鮮やかな2ランスクイズで2点を追加。
8回にも、船戸川、中山の長打でダメを押した。 検見川はヒット7本。千葉英和はヒット2本。
【コメント】  ☆ここまでは順調でしたね。
スターティングメンバーは全員9期生だったんですね!(相変わらず試合のことは覚えてません)
天台球場だったと思います。球場の外でウォーミングアップをしていた時、車で通りかかったお兄さん(ヤンキー風)に『銚子商に勝ちやがってコノヤロー!
って野次られた事を記憶しております。恐るべし銚子商業 
(岡元)
1983年 秋季高校野球大会 準〃決勝】  於 天台球場 1983年10月7日
1 2 3 4 5 6 7 8 9
検見川 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1
拓大紅陵 3 0 0 0 0 0 0 0 0 3
検見川 1 2 3 4 5 6 7 8 9
4 8 2 7 1-9 3 9 5 6    
・河本 金子 加藤 岡元 千葉 鈴木 船戸川 岐部 中山    
学年 2 2 2 2 2 2 2 2 2
出身中 千代田 習志野一 千草台 高浜 幕張西 草野 轟町 行田 大穴
打数-安打-打点 3-0-0 3-1-0 4-2-0 3-1-1 4-0-0 4-0-0 4-2-0 3-1-0 4-0-0
拓大紅陵 1 2 3 4 5 6 7 8 9  
6 3 4 9 2 1 1 5 代-5 8 7
前橋 坂巻 小川 今村 鈴木隆 鈴木典 藤崎 古橋 田崎 寺沢 菅谷 幾世橋
検見川 : 千葉-加藤
千葉英和 : 鈴木典、古橋 - 鈴木隆
3塁打 鈴木典 (拓) 2塁打  岡元(検)
参照:千葉日報
検見川の反撃一歩及ばず
拓大紅陵は初回、検見川・千葉の制球難と守備のまずさで挙げた3点を鈴木典と古橋のリレーで守りきりベスト4へ進出した。
検見川は拓大紅陵を上回る7安打を放ちながら決定打を欠き、2回から立ち直った千葉の力投に報えなかった。
1回の裏、前橋が四球で歩き、坂巻が送った後、小川が粘った末に右前にはじき返して前橋を迎え入れた。
さらに動揺したバッテリーの虚を突き、小川が2盗。今村倒れ2死となったが、鈴木隆が四球。ここで鈴木典が左前打。これを
突っ込んだ左翼手が後方へ大きく逸する間に2者が返り2点を追加した。
拓大紅陵は2回以降、立ち直った千葉じ対し、追加点を奪えなかった。
3点リードを許した検見川は3回に反撃。河本四球、金子が送り、加藤が中前に落とし、1、2塁。このチャンスに岡元が
1塁手右を破る2塁打して1点。なおも2,3塁のあと、千葉が投前スクイズしたが、本塁タッチアウト。
検見川としては、この1点が入っていれば、1点差になっていただけに悔やまれる。それでも検見川は元気一杯で、
4回を除き、7回まで毎回塁上を賑わしたが、得点までは至らず。
8回からはエース古橋に3人ずつ抑えられ万事休す。検見川はヒット7本。拓大紅陵は6本。
拓大紅陵の古橋投手は現敬愛学園の野球部監督。セカンド小川選手はのちにオリックスのセカンドとして活躍された。
拓大紅陵は、検見川の勝利の後、準決勝で、八千代松陰に3−1、決勝は習志野に3−2で勝ち、千葉県優勝!関東大会でもベスト4に入り、
翌年第56回選抜野球大会に出場。1回戦は、奈良代表の智弁学園に9−3、2回戦は、神奈川代表の法政2高に10‐2で勝ち、
準〃決勝では、大阪代表のPL学園に0−6で負けたもののベスト8。                   09年1月 事務局 記
【コメント】  ☆この試合は、同期で飲むと未だに酒の肴です。
新聞記事にもありますが、千葉のスクイズでホームに突っ込んだ加藤がアウトになったことが論点となります。
どうも私もレフトでエラーをしたらしいのですが、案の定覚えてません(VσェV)
その後、拓大紅陵が関東大会から甲子園(千葉県開催のため二校選抜の高確モードでした)に進み大活躍したこともあり
『あのスクイズが決まっていったら、俺ら甲子園行ったよな』と未だに酔っちゃ、みんなで言ってます。所詮タラレバの話です。
この試合に勝ったら次は八千代松蔭戦だったのですが(;^ω^)
ちなみに私どもはこの試合で負けたことで、翌週からの修学旅行にしっかり参加することが出来ました(^_^)v (岡元)
この試合が始まる前に1時間だけ授業を受けて試合に臨みました。悲劇はそこから始まっていたのです。拓大対策を古文の授業中にしていた某キャッチャー。
先生に見つかってスコアブックを取り上げられ、おまけに授業後お呼び出し。あの授業に出ずに朝から試合に向かっていれば、
1回裏のバッテリー動揺も、スクイズ失敗もなく、私は絶対に甲子園に行けたと今でも思っています。ほんとに!!(マネジ)